小野忠明(おの ただあき) 忠常(ただつね)
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小野忠明は、江戸初期の剣術家で、小野派一刀流の祖です。安房国 御子神村(現南房総市)に生まれ、前名を神子上典膳(みこがみ てんぜん)といいました。幼少のころから剣を好み、その後、上総国 夷隅郡の万喜城主 土岐家に仕えました。
そこへ、武者修行中の伊藤一刀斎景久が来遊し、願って弟子となり、各地他流試合を行うなどして典膳の腕はめきめきと上達し、天正19年(1591)には一刀流の極意を得た者に与える許しである印可を受けるに至りました。
文禄2年(1593)29歳の時、典膳は江戸に出て徳川家康に謁し、200石をもって召し抱えられ、2代将軍秀忠の剣術指南役となりました。このとき家康の命により神子上姓を改め母方の姓である小野を称し、その後に秀忠の一字を賜って名を忠明と改め、小野次郎衛門忠明としました。
慶長5年(1600)の関が原の戦いでは、秀忠に従って信州上田攻めに軍功があり、やがて累進して800石を領しましたが、大坂夏の陣のときに剛直な気性から同僚と争って閉門を命ぜられてしまいます。後に許されましたが、子の忠常に家督を譲り、知行地の下総国 埴生郡寺台村(現成田市寺台)に隠棲しました。
小野派一刀流は、忠明の後を忠常が継承し、この流系から中西忠太の中西一刀流、千葉周作の北辰一刀流、山岡鉄舟の一刀正伝無刀流などを輩出しています。 |
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