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このページでは、
各町内の山車・屋台について更に詳しくご紹介します。
上町の屋台 幸町の山車 花崎町の山車 田町の山車 東町の屋台
本町の山車 仲之町の山車 三和会の山車 土屋の山車 成田山交道会
の山車
【上町の屋台】

 上町の屋台は江戸の後期に千葉町の院内の宮大工により造られ、当初、木更津で引き回されていました。その後、千葉の長洲町の所有でありましたが、明治の中頃に当時、上壱番町(かみいちばんちょう)と呼ばれていた上町が高額にて購入し現在に至っております。
 当初、この屋台の威容は相当なもので、昭和30年代に縮小を余儀なくされる以前は、現在よりも一回りも二回りも大きく、唐破風(からはふう)の屋根が両側に大きく張り出し、前方の踊り舞台では芸妓衆が華やかな舞いを披露し、その威容を誇っていました。現在では手古舞が手踊りを披露し当時の雰囲気を醸し出しております。
 製造後100年を経過し屋台の老朽化が進み、平成14年の当番町を機に大改修を行い、昔の威容を彷彿とさせる屋台として再び登場しました、その姿は動く彫刻屋台の復活といっても過言ではありません。
 上町の屋台は壮欅造りで、屋根は唐破風一層造り、正面額には、大本山成田山中興第20世鶴見照碩(しょうせき)大僧世御直筆による上町の文字と昇り龍・下り龍が贅を尽くした大変縁起の良い一木一枚浮きだし彫りで拝されています。
 鬼板(おにいた)には麒麟と伎芸天(ぎげいてん)が、屋台の回りには四方を護る青龍・白虎・朱雀・玄武。前高欄には双龍玉(そうりゅうたま)唐獅子・唐獅子牡丹。後部高欄には波に十二支。高欄下には全面に波に千鳥、脇障子には極楽鳥、また内部には鳳凰・天狗・童子、後部には梁を支える力神(りきしん)、屋台回りの持ち送りには波に亀などが配され正に動く彫刻舞台と言えるでしょう。
 本年は当番町を務め、若者連は上町親和会。下座は佐原囃子、鳥羽(とっぱ)下座連です。
祭典委員長は 清宮英之さん、若者頭は 下田真吾さんです。
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【幸町の山車】

 成田の祇園祭は今から約300年前の享保年間より、花車や屋台が出て賑やかに行われたと伝えられています。明治に入り幸町では本格的な屋台が造られ、昭和中期、戦争により中断されるまで引き回されていました。
 戦後昭和23年に二代目が、そして現在の三代目の山車は昭和48年に新たに造られました。
総けやき造りで、高さ3.6m、 全長3.5mの二重高欄で、人形は成田山ゆかりの朱雀天皇です。
 天慶(てんぎょう)2年、平 将門が関東の地で乱を起こしました。天皇は従兄にあたる寛朝僧正(かんちょうそうじょう)に弘法大師が入魂彫刻された現在の成田山のご本尊不動明王の尊像と天国の宝剣を授け、朝敵降伏の修法を命じました。
 僧正は下総の国・公津ヶ原の地において真言護摩の秘法を修得し、満願の日の天慶3年2月14日、将門は本町の山車人形・俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)によって滅ぼされ、関東の地は平和を取り戻しました。
 朱雀天皇は大変喜ばれ、不動明王の尊像を公津ヶ原、現在の成田の地に留め東国の守り神とし、「新勝寺」はこの時に、その寺号を賜りました。
 成田山中興第19世貫首 松田照応應大僧正御直筆の守り神の彫刻額が掲げられております。本年は警護当番を勤めます。お囃子は幸町下座連の皆さんです。
 祭典委員長は諸岡公一さん、若者頭は伊豆蔵雅美さんです。
幸若連ホームページ
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【花崎町の山車】

 花崎町はJR成田駅、京成成田駅周辺から参道を中心とした、700世帯を有する大町内です。花崎町の山車は、昭和51年に先代の山車の老朽化に伴い、町内の棟梁 池田正一氏の手により新造されたものです。
 山車の前部は、囃子台に唐破風の屋根、後部は三層せり上がり式となっている江戸型の山車です。
 花崎町の山車は、昭和51年製作以来、山車全体の彫刻など年々改良を加え、腰周りには「波に鯉」、上高覧には「牡丹」「雲龍」、懸魚(けぎょ)は「鳳凰」の彫刻を配しています。
 平成16年には、市内の寺社彫刻師 江森南峯(えもりなんぽう)氏に依頼し、山車の腰周り上部伽藍には山車人形の八幡太郎源義家に由来する「勿来(なこそ)の関にて歌を詠ず」「大江匡房(おおえまさふさ)に兵法の教えを乞う」「雁行(がんこう)の乱るるを見て伏兵を知る」に題材を取った三図(さんず)の彫刻を配しております。
 また、山車正面の扁額(へんがく)は、周囲に四君子を施した総欅づくりで、成田山中興第二十一世 橋本照稔大僧正御直筆による、八幡太郎の知恵と勇気に因んだ「智勇」の額文字となっています。
 後部の山車幕は平成6年に新調。下幕は「波に千鳥」。上幕は「飛翔する鶴」を四方に配した総刺繍づくりです。
 人形は源氏の頭梁として名高い八幡太郎 源義家公で、東京は「三代目面六(めんろく)」の製作です。腰に太刀、左手に弓、右手に矢を持ち、烏帽子を冠した、その端正な山車人形らしい顔つきは、江戸山車人形の伝統を引き継ぐ、近年の名作と言われています。
 お囃子は利根川を挟んで北総一帯に広く分布する佐原囃子で、下座連は「花崎囃子連」の皆さんです。
 そして本年度の祭典委員長は黒田正人さん、山車を勇壮に引き回す若者連は「花若連」で若者頭を務めるのは渡邊貴博さんです。
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【田町の山車】

 成田の祇園祭は、江戸時代には4つの町内で行われていましたが、田町はその中の1町内として古くから参加している地区です。
 山車のまわりや若者の持っている提灯に4本の赤い線が見られますが、これは当時の四番町を今に伝えるものです。
 田町では、以前は重層構造を持つ三段繰り上げ様式の江戸山車系統の山車を使っていましたが、昭和初期からは屋台を引き回すようになりました。今の屋台は昭和53年に従来のものを基本に新しく造られたもので、前部には唐破風の屋根を取り付けてあるのが特徴です。また屋台をお宮に見立てた場合の荘厳さをよく表しています。
 正面にかかげられています扁額は、成田山中興20世貫首猊下照碩(げいかしょうせき)大僧正の御直筆になるものです。書かれています文字は「光明」で、お不動様の本地仏でもある大日如来の光明真言、また仏や菩薩の身体から放つ光をも意味するものです。
 屋台の後方は二重高欄をまわし、その中にせり出し式の人形を乗せています。
 屋台の上に祠られている人形は、埼玉県岩槻市の人形師が数カ月を要して作ったもので、田町の伝統でもある素戔鳴尊(すさのうのみこと)であります。素戔鳴尊は、出雲の国でヤマタノオロチを退治するなどの神話で知られていますが、成田の祇園が勇壮であればこそ、この荒ぶれる神、素戔鳴尊はまさにその象徴といえるでしょう。髪を美豆良(みずら)にし、首に鏡と勾玉(まがたま)を飾り、右上に日輪をかざし、左手に巻子(かんす)を持ち、万人の平穏を唱えています。
 なお、芸座連は、見事な佐原囃子を奏でる香取郡神崎町の神崎芸座連(こうざきげざれん)です。
 祭典委員長は徳田 進さん、若者頭は細川晃司さんです。
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【東町の屋台】

 東町は、その名の通り国道51号線と新参道に沿った、成田山新勝寺の東に位置する町で、団結と親睦の下町情緒こまやかな明るい心豊かな町です。
 この屋台は屋台形式で、正式には引き回し屋台と呼ばれます。正面からは、武家屋敷籠寄(かごよ)せ玄関を思わせる唐破風造りの威厳のある頑丈な構えで、また横から眺めると動く能舞台の様相で質素のうちにも白木・木目の美しさを備えた、言わば玄人受けする屋台とでも申しましょうか、いつまで見ても飽き のこない味のある屋台です。
 この屋台は2代目の屋台で総けやき造り銅版瓦葺きで総重量約4トン、長さ4.6m、幅3.5m、地上から鬼瓦までの高さは4m半、屋台としては当市最大の逸品です。
 昭和53年6月完成、当市花崎町の池田工務店・池田政夫氏と父親の故・池田正一氏親子の苦心作です。今後、100年以上は優に引き回せる唯一の立派な屋台です。
 完成2年後の昭和55年と63年の2回、町内の塗工師・中台光逸(こういつ)氏により総漆塗り仕上げを行い、また金箔、金具も全て取り替え、名実共にきらびやかな内にも気品のある屋台となりました。
 更に昨年、茨城県北浦の彫刻師・溝口 廣氏により屋台正面には獅子、柱のそれぞれには上り竜、そして屋台の四方には恵比寿大黒、鳳凰などの彫刻が施され、より荘厳な屋台が完成しました。
 お囃子は、地元東町のあづま下座連による佐原囃子です。
 祭典委員長は戸村政雄さん、若者頭は高橋正和さんです。
東栄會ホームページ
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【本町の山車】

 本町の山車は明治34年に百雲正(ひゃくうんじょう)・村田政親・山本鐡之に、車輪・台座は東京神田紺屋町の川口家によって製作され明治35年に完成し、高さは約8m、幅2m、長さ3mで50mの二本の綱によって引き回されます。
 山車は上・中・下の三段から成っていて、その上に人形が立っています。山車の上段はせり上がり式で、四面にわたって飛龍の刺繍、中段は波濤(はとう)と珊瑚の刺繍がほどこされております。この2枚の幕は明治35年製作時と同様に京都の川嶋織物で昭和52年に新しく製作されました。
 山車は各部黒、朱、赤、漆で仕上げられ、三味線銅、岩座、彫り物、木金物は金箔仕上げ、下段三味線銅下台枠は欅で彫刻が施されています。
 また町内の道幅が狭く、山車の向きが変えにくいので、囃子方台より上が360度回転し方向転換するように工夫されている、二層鉾台囃子台 欄間型江戸山車です。
 人形のモデルは将門征伐で成田山にゆかりの深い藤原秀郷、別名ムカデ退治で有名な俵藤太 秀郷で、明治35年に人形師 山本福松により製作されました。狩衣の下に鎧をつけ、左手に弓、右手に矢を持ち、太刀を帯びた秀郷は朝廷に反旗をひるがえした平将門をその豪弓で討ち滅ぼした武将です。
 額の文字「勇武」は成田山中興第15世石川照勤大僧正の直筆のものです。
 また囃子方は、相模流江戸囃子、新宿区指定無形文化財の指定を受けた萩原彦太郎社中の皆様です。
 祭典委員長は日暮欽一さん、若者頭は小坂晋一郎さんです。
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【仲之町の山車】

 現存最古の典型的江戸山車、仲之町神武天皇の山車です。
 成田詣を通して古くは江戸時代より交流のあった江戸と成田山、新勝寺門前町としての仲之町に江戸の華・江戸囃子と鉾山車が登場したのは、江戸文化との密接な 係わり合いを物語るものです。
 制作は明治33年、日清・日露戦争の間、折しも風雲急な日露間の対外的多難の時代に町民が神国日本創建の古事を偲んで岩座に神武天皇を奉安し、飛び来たる金色の鵄の御光に国家の安泰と万民の幸せを、大日如来・不動明王に祈願するために造られました。
 山車の作者は三代目・村田政親こと神田黒門町の宮惣として古くから名の知られている村田惣三郎(そうさぶろう)、そして百雲生(ひゃくうんじょう)・山本鉄之(てつゆき)こと二代目・山本鉄五郎の共作です。
 第二次世界大戦後、破損は甚だしく、昭和47年より行徳の宮師・後藤直光氏により漆・金箔・金具・高欄の修復が行われ、昭和63年には再度、漆の修復が行わ れ、また、山車幕は京都西陣備前屋において3年がかりで制作されました。
 上幕は緋羅紗地(ひらしゃじ)に鳳凰の刺繍、見送り幕は浅黄羅紗地(あさぎらしゃじ)に岩に波濤(はとう)、羽隠(はがくし)は木綿・萌黄地(もえぎじ)に白抜きで意匠(いしょう)文字の町名、車体は四輪かなえ取り付、牛に曳かせての重々しい町内巡行は戦前まで続いていました。
岩座(いわくら)にまします神武天皇は身の丈 六尺、装束は白地に金襴で雲竜の模様、下地は紺地に牡丹唐草の錦、袴は紫地に金色の丸竜の模様、左手には弓の杖、そして弓の弓(きゅう)ちゅうには金色の鵄がとまり、四方八方に光を放ち、右手には四方羽(よもば)の矢を持っています。
 囃子台正面の額面は、玉モクのけやき地、縁に竜を彫り、成田山中興15世石川照勤大僧正の御筆によるものです。題字は、奸哉得国(かんさいとくこく)、すなわち「奸賊(かんぞく)を討って国は泰平」とあります。
 お囃子は江戸囃子で、きさらぎ会の皆さんです。なお精巧華麗なこの鉾山車の威容を維持するため、現在も毎年町内の浄財により順次補修が続けられております。山車建立百周年を迎えたのを機に、本漆塗りに法相華(ほうそうげ)の彫刻金箔貼の車輪を新調し、交換いたしております。
 また、平成14年には鴨川の宮大工 川股氏の手により人形昇降装置のからくりを修復するとともに、江戸山車としては大変珍しい上高欄(かみこうらん)の昇降装置と人形昇降装置をひとつの捲上軸車(まきあげじくぐるま)に連動させたからくりに変更いたしました。
 江戸山車は、元来大きな二輪車に「ながえ」が付いて黒い牛が引くというのが本来の形で、錦絵などにも描かれています。明治に入ると三輪、又は四輪の山車も現れました。
 明治33年に作られた仲之町の山車は、当時としては最も新しい四輪で舵と ながえがついた形になりました。戦前までは、すべて牛に引かせていたようです。
 祭典委員長は木内英喜さん、若者頭は長谷川一人さんです。
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【三和会の山車】

 三和会は、JR成田駅西口に隣接する新町、馬橋、囲護台の3区で構成され、現在の山車は、平成20年成田山開基1070年祭の記念の年に合わせ、昨年12月に新造されました。
 制作は印旛村の棟梁 正木 寛氏によるもので、伝統的な社寺建築の技法で建造されたこの山車は11月28日に落慶式を迎えた新勝寺の総門とイメージが重なります。
 新町、馬橋、囲護台の3区が三和会として再出発するにあたり、「初心のように無垢の気持ちに還る」の意味から、先代の山車型式 二重高覧・二層式屋台を引継ぎながらも、今まで成田には無い独自性の高い山車に仕上げ、あくまでも白木の山車に拘り、飾り金具や塗装を施さず、今後十年、数十年と時が経てば経つほど、味の出てくるような山車を目指しました。
 また囃子台は前部の踊り舞台を無くして一間とすることで、成田祭り囃子を演奏するお囃子方と将来を担う子供達も乗せられるように施し、子供達の夢や将来を望む区民の願いが込められております。
 
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【土屋の山車】

 土屋は昭和49年、市制20周年の年より参加、35年目を向かえます。
 平成19年2代目の山車が完成。山車は、総欅作り、前部囃子台に唐破風の屋根、後部は三層でせり上がり式の江戸型山車です。
 人形、彫物は古事記の神話を題材にしたもので、人形は因幡の白兎を助け、国作りの神である『大穴牟遅命(おおあなむちのみこと)』亦(また)の名を大国主命(おおくにぬしのみこと)、彫刻は懸魚に『伊奘諾命(いざなきのみこと)、伊奘冉命(いざなみのみこと)の国生みの図』、後部中段三方の欄間には『天照大神(あまてらすおおみかみ)の天の岩戸開き(あまいわとびらき)』、『素戔鳴尊命(すさのおうのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治』、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨の際、天の八衢(やちまた)にて猿田彦命(さるだひこのみこと)に会う『天孫降臨(てんそんこうりん)』の彫刻を配し、『神話の山車』と呼ばれます。
 また上部三味線胴の四面には『朱雀』、『白虎』、『玄武』、『青龍』の四神が彫られ、囃子台後部左右脇障子には「昇龍」、「降龍」、その他、獅子や牡丹、波や千鳥など山車全体に彫刻を配しています。
 若者連は土屋青和会、本年の祭典委員長は横田和昌さん、若者頭は石原勇人さんです。
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【成田山交道会の山車】

 成田の祇園会は、成田山新勝寺のご本尊不動明王の本地仏である奥の院 大日如来の祭典です。この成田の祇園会は、今から約300年前の享保年間にはすでに行われていたことが記録に載っており、山車・屋台の引き回しは近代において3年に一度の催しとなった時期もありましたが、町方の熱意によって再び昭和48年から毎年全町内挙げて行われるようになり、現在では大変な活気と盛儀を取り戻しています。
 成田山交道会の引き回す山車は、昭和63年の成田山開基1050年祭を記念して作られた本格的江戸形山車で二段にせりあがる重層三層柱立囃子台付きです。
 囃子台正面上部には金箔の鳳凰と雲に宝づくしの彫り物が見られ、上高欄には金色竜、中高欄には十二支、下高欄には唐獅子の彫り物がそれぞれくっきりと刻まれています。
 刺繍幕は朱雀・青竜・玄武・百虎を四方にあしらっており、これらの四神は、中国では古代から四季や方角を表した守り神とされています。 また山車の内部には人形の上げ下ろしをするための小田巻(おだまき)と言われる巻上車軸が取り付けられています。
 人形は日本武尊(やまとたけるのみこと)で草薙の剣を持つこの日本武尊は知慧の利剣を持つ不動明王を表しており、NHK「三国志」の人形の作者と知られる川本喜八郎氏の作です。
 正面に掲げられております「大日」の文字は成田山中興20世貫首 鶴見照碩(しょうせき)大僧正直筆によるものです。
 この山車に乗る囃子方は、都築社中で神田囃子を演奏します。特に本衣装をつけた神楽舞が特徴です。
 祭典委員長は岸田照泰さん、若者頭は高橋理一さんです。
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