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成田山薪能

能と狂言 マメ知識

能は、約600年の歴史を持ち、舞踏・劇・音楽・詩などの諸要素が交じりあった現存世界最古の舞台芸術です。
主人公のほとんどが幽霊で、すでに完結した人生を物語り、それが中心になっている不思議な演劇です。幽霊というと怖い内容のようですが、時代や国によっても変わることのない人間の本質や情念を描こうとしているのです。
また、ギリギリまで省略された1つの動きの中にはいくつもの内容が込められ、一見無表情な能面には幾通りもの表情が隠されているのです。
一方、狂言は能とほぼ同じ頃に発生しました。
登場人物は能と違って貴族や歴史上の人物ではなく、底抜けに明るい太郎冠者を主とした親しみやすいキャラクターで、当時を描いた笑いには現代に通じるものがあります。その頃の日常的な話し言葉を使っているので内容もわかりやすく、能と共に歩んだ長い歴史のなかで洗練された「笑いの芸術」といわれています。本狂言の他に、能の間で解説的な役割をする間狂言や、祝言の式で演じられる「三番三(三番叟)」(さんばそう)など特殊なものもあります。

この対照的な二つの演劇はセットで演じられることが多く、幽玄の世界から笑いの世界へと観客の心をリラックスさせてくれます。また能には、完全な方式で演ずるほか多くの省略方式があります。

今回の成田山薪能での演目についてご紹介します。

第35回 奉納梅若 成田山薪能 演目のご紹介

舞囃子(まいばやし)

1曲の主要な部分を、紋付・袴で地謡と囃子によって舞うのが特徴です。

「高砂(たかさご)」 あらすじ

醍醐(だいご)天皇の御世の延喜年間のこと、九州阿蘇神社の神主友成(ともなり)は、都見物の途中、従者を連れて播磨国(兵庫県)の名所高砂の浜に立ち寄ります。

友成が里人を待っているところに、清らかな佇まいをした一組の老夫婦があらわれました。松の木陰を掃き清める老夫婦に友成は、高砂の松について問いかけます。二人は友成に、この松こそ高砂の松であり、遠い住吉の地にある住の江の松と合わせて「相生(あいおい)の松」と呼ばれている謂われを教えます。
そして樹齢千年を保つ常緑の松は特にめでたいものであるとして、松の由緒を語ります。

やがて老夫婦は友成に、自分たちは高砂と住吉の「相生の松」の化身であると告げると、住吉での再会を約して夕凪に寄せる岸辺で小舟に乗り、そのまま風にまかせて、沖へと姿を消していきました。

残された友成の一行は、老夫婦の後を追って月の出とともに小舟を出し、高砂の浦から一路、住吉へ向かいます。住吉の岸に着くと、男体の住吉明神が姿を現しました。月下の住吉明神は、神々しく颯爽と舞い、悪魔を払いのけ、君民の長寿を寿ぎ、平安な世を祝福するのでした。

高砂は、室町以来現在に至るまで、能の代表的な祝言曲として、広く人々に親しまれてきました。
能を見たことがない人でも、「高砂」の名を一度くらいは耳に入れる機会があるでしょう。
たとえば婚礼の席で、この曲から取られた「高砂やこの浦舟に帆をあげて…」や「千秋楽は民を撫で…」といった謡を聴いたことがあると思います。

世阿弥はこの能を、長寿や老夫婦の睦まじさを称えるとともに、松の長生のめでたさを和歌の道の久しい繁栄になぞらえ、美しい調章と、清々しい所作、舞いとで傑出した表現を創り上げたのです。

寿ぎ、祝いといっためでたさに貫かれ、どこまでも明るく、崇高で清らかな雰囲気に満ちた、気品のある、名曲中の名曲です。素直に見て、聴いて感じて、楽しめる能「高砂」を是非じっくりとご鑑賞ください。

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狂言 「附子(ぶす)」 あらすじ

ケチな主人が、大切な砂糖を使用人に盗み食いされまいと「附子」という猛毒だと言って、留守番を言い付かった二人に預けて出かけます。
二人は始め、吹いてくる風にさえ触れたら毒されるのでは?とビクビクしていましたが、やがて怖いもの見たさに、風の当らぬよう煽ぎながら近づいて中を見ます。
すると美味しそうな物が入っているので、一人が勇気を出して食べてみると、中身は猛毒ではなく砂糖。
二人は夢中になって全部食べてしまうのです。
さてこの言訳を主人にどう伝えましょう・・・。一休さんのとんち話にもある、有名な狂言です。

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能「小鍛冶 -黒頭-(こかじ -くろがしら-)」 あらすじ

夢のお告げを受けた一条天皇の命により、勅使の橘道成は、刀匠として名高い三条小鍛治宗近のもとを訪れ、剣を打つよう命じます。
宗近は、自分と同様の力を持った相鎚を打つ者がいないために打ち切れない、と訴えますが、道成は聞き入れません。

進退きわまった宗近は、氏神様の稲荷明神へ助けを求めて参詣します。
そこで宗近は、不思議な少年に声をかけられます。
少年は剣の威徳を称える中国の故事や日本武尊の物語を語って宗近を励まし、相鎚を勤めようと約束をして稲荷山に消えていきました。

家に帰った宗近が身支度をすませて鍛治壇に上がり、礼拝していると稲荷明神のご神体が狐の精霊の姿で現れ、「相鎚を勤める」と告げます。先ほどの少年は、稲荷明神の化身だったのです。
明神の相鎚を得た宗近は、無事に剣を鍛え上げました。
こうして表には「小鍛治宗近」の銘、裏にはご神体が弟子を勤めた証の「小狐」の銘という、ふたつの銘が刻まれた名刀「小狐丸」が出来上がったのです。
明神は、小狐丸を勅使に捧げた後、雲に乗って稲荷の峯に帰っていきました。

「小鍛治」は、一曲の展開が素早く、非常に変化に富み、前半後半ともに見どころの多い人気の曲です。
きびきびした動きと爽快な謡は、見る人を飽きさせません。
演者の技の切れや謡の力を素直に楽しめる曲で、その娯楽性の高さからでしょうか、歌舞伎や文楽にも執り入れら、親しまれています。

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