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江戸末期に制作された山車人形や生人形と呼ばれるものに加え、諫鼓鶏(かんこどり)や野猿、桃太郎など子供でも楽しめる山車人形と成田祇園祭の歴史を紹介したパネルの展示を行います。
前半展示期間:2022年6月4日(土曜日)から6月19日(日曜日)まで
後半展示期間:2022年6月25日(土曜日)から7月10日(日曜日)まで
〒286-0033 千葉県成⽥市花崎町828-11スカイタウン成⽥4階・5階
成⽥市⽂化芸術センター スカイタウンギャラリー(外部サイトへリンク)
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藤原秀郷(ふじわらのひでさと) 成田市本町
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神武天皇(じんむてんのう) 成田市仲之町
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暫(しばらく) 沼田市下之町
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鏡獅子(かがみじし) 沼田市西原新町
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猩々(しょうじょう) 港区赤坂氷川山車保存会
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静御前(しずかごぜん) 青梅市仲町
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源頼光 川越市三久保町
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石橋(しゃっきょう) 本庄市本町
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武内宿禰(たけうちのすくね) 本庄市泉町
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関羽雲長(かんううんちょう) 栃木市万町二丁目
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張飛翼徳(ちょうひよくとく) 栃木市万町三丁目
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素戔嗚尊(すさのおのみこと) 桐生市本町四丁目
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竜神の舞(りゅうじんのまい) 渋川市中之町
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日本武尊(やまとたけるのみこと) 佐倉市上町
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小野道風(おののとうふう) 酒々井町麻賀多神社
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武内宿禰(たけのうちのすくね) 市川市春日神社
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桃太郎(ももたろう) 本庄市照若町
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諫鼓鶏(かんこどり) 寄居町茅町
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野猿(やえん) 寄居町武町
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弁財天(べんざいてん) 石岡市金丸町
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住吉大明神 川越市末広町
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徳川家康(とくがわいえやす) 川越市脇田町
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熊坂長範(くまさかちょうはん) 荒川区荒川中央町会
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稲田姫(いなだひめ) 荒川区(荒川四丁目西、荒川四丁目西仲睦会、荒川文化会、大西町会、荒川宮地町会)
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原 舟月(はら しゅうげつ)
江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した人形師。
初代樋口舟月、通称金五郎は大坂生まれ。根付師としてその名を知られ、安永7年(1778年)頃に雛人形作りを生業にするため江戸に下り「古今雛」を考案。日本橋十軒店(じっけんだな)雛市に店を構え、大繁盛しましたが、大きな古今雛や江戸では造られていなかった御殿雛を手掛けたことにより、江戸所払いとなりました。
二代目・通称金太郎は、雛人形や5月の兜(武者)人形、また、山車人形も手掛けていましたが、華美を禁止する寛政の改革に触れ、雛人形の没収を受けています。
三代目・通称徳太郎は、18歳の時に病床の二代目から跡を継ぎました。二代目が制作した山車人形の修復依頼もありましたが、山車本体の制作にも携わり原舟月独自の構造を持つ「山車1本」の制作へと変遷していきました。
主な作品
<千葉県>佐倉市仲町・関羽
<埼玉県>本庄市宮本町「日本武尊」、本庄市仲町「神武天皇」、飯能市原町「神武天皇」
<栃木県>佐野市久保町「福禄寿」、栃木市萬町一丁目「天照大神」、栃木市萬町二丁目「関羽雲長」
<東京都>八王子市横山三丁目「羅陵王」、八王子市八日町「素戔嗚尊(頭)」、八王子市八幡町「神武天皇(頭)」
<群馬県>高崎市新町第二区「武内宿禰」
など
仲 秀英(なか しゅうえい)
代々、3月の雛人形、5月の兜(武者)人形を制作していたと言われています。
初代については不明ですが、二代目は藤原光信といい、江戸時代後期に雛人形市で有名な十軒店(じっけんだな)に店を構え、また、最上位の人形師に与えられる法橋の称号を名乗ったとされています。江戸三代雛職人、「原舟月、川端玉山、仲秀英」として有名です。
嘉永3年(1850年)に39歳の若さでこの世を去ります。
その後、「田中惣七」が継ぎ、三代目として活躍しましたが、彼も明治20年(1887年)頃に起きた火災事故により死去したと言われています。
主な作品
<東京都>青梅市森下町「竹内宿禰」
<千葉県>佐倉市上町「日本武尊」、佐倉市弥勒町「八幡太郎」、印旛郡酒々井町「小野道風」
<埼玉県>加須市本町「蘭陵王」、川越市仲町「羅陵王」、川越市幸町「翁」、川越市大手町「天鈿女命」、川越市六軒町「三番叟」
など
横山 友次郎(朝之)(よこやま ともじろう(ともゆき))
横山朝之は初代・祖父某、二代目・友藏、三代目・新藏、四代目友次郎と名前が受け継がれていました。
横山の制作した人形は雛人形師が作成したものとは違い、幕末から明治にかけて活躍した「生き人形」の流れを汲む作風として知られています。
現在、史料として残っているものは、「明治十二年東京市浅草区榊町一番地 横山新藏 六十四歳」という記録と、「明治参拾五年第九月五日 東京市浅草区榊町壱番地 横山友次郎」と記載された埼玉県本庄市上町の見積書があります。
主な作品
<千葉県>佐倉市肴町「竹生島龍神」、市川市三丁目「竹内宿禰」
<埼玉県>本庄市泉町「竹内宿禰」、本庄市上町「神功皇后」
<群馬県>渋川市中ノ町「龍神」、高崎市倉賀野仲町「猩々」
など
古川長延(ふるかわ ちょうえん)
文政9年(1826年)に生まれ、天保9年(1838年)13歳で二代目仲秀英の弟子となり、11年後には仲英真の名前をもらい十軒店に自分の店を構えます。
長延が拵えた作風が師匠に似ており、評価が良かったために師匠の恨みを買い、もらった名前を返上して「泰精斎 古川長延」と名乗り本郷湯島天神町に店を構えました。
主な作品
<東京都>荒川区「稲田姫」、「熊坂長範」、「鎮西八郎(源為朝)」、港区 「神武天皇」
<千葉県>香取市佐原下宿「源頼義」
<埼玉県>川越市松江町二丁目「浦島太郎」、久喜市本町一丁目「素戔嗚尊」、越生町上町「豊島左衛門尉経奏」
<茨城県>石岡市金丸町「弁財天」、潮来市八丁目「静御前」
など
山本 福松(やまもと ふくまつ)
幕末から昭和初期に活躍した生人形師で、初代は明治時代に活躍し、山車人形の制作で有名でした。浅草六区に住んでいて、明治41年(1908年)頃に死去したと云われています。
浅草の見世物小屋で松本喜三郎と生人形の合同興行や浅草花屋敷の菊人形展を手掛けていました。菊人形は頭や手足が人形で、体を菊で作られた等身大の人形です。
初代の死後、後を継いだ二代目は、菊人形、山車人形作りに携わりましたが、特に市松人形のような生人形作りが有名です。
昭和11年(1936年)突然廃業を宣言し、昭和36年(1961年)75歳で死去しました。
主な作品
<千葉県>成田市本町「藤原秀郷」、成田市仲之町「神武天皇」
<群馬県>高崎市和田町「菅原道真」、高崎市八島町「神功皇后」、高崎市南町「楠木正成」、高崎市歌川町「藤原定家」、高崎市相生町「源為朝」
など
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メールアドレス:kanpro@city.narita.chiba.jp
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